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広告漫画家のジレンマ

161203

とあるスピリチュアルカウンセラーの方と、夕食を共にする機会があった。
普段はあまり縁のないスピリチュアル話を色々と伺ったが、その中にこんな話があった。

今周りにいる自分と関わりの強い人々の魂は、前世でも関係性は違ってもやはり自分と接点があったものが多いのだという。
魂はグループで転生しているらしい。

その話を聞いたとき、私は忌々しい気持ちになった。
あの人も、私と同じグループにいる運命だったというのか。

そしてそう思ってから、家族でも、大切な友人でもなく、真っ先にその人のことを思い浮かべた自分を気持ち悪く思った。
まだ、囚われている。

私がこの広告漫画家という道を生きることになった、始まりの人がいる。
本当に、運命の出会いだと思った。
その人がいなかったら今の私は無いのだから、その出会いには感謝してもしきれない。

私はたぶん、今が人生で1番楽しい。
去年1月に広告漫画家として独立し、8月にブログを始め、10月に入った塾をきっかけに仲間が増えた。
ありがたいことに仕事も順調に繋がり、3年かかると思っていた売上目標は今年のうちに達成できた。
広告漫画家として踏み出して本当に良かった。

しかしもう、その人に会うことはない。
ひどい最後だった。
私は情けないことに、その人との過去のメールを見ることにすら、体が拒否反応を起こす有様。
その人も、きっと私を憎んでいることだろう。

感謝と、憎悪と、尊敬と、恐れと。
なんと複雑な感情だろう。
二度と会いたくない、思い出したくもない。
けれど、今や自分のアイデンティティであるこの「広告漫画家」という生き方の原点にあるその存在を、消し去ることもできない。

その人との関わりを絶ってから2年。
私はまだ、ダメらしい。
(とりあえず、その人から逃げた先でその人の「代わり」を見つけることで安心を得るような愚かな自分でなかったことは救いだった。)

広告漫画家として生きる自分が好きなのに、広告漫画家という言葉に黒い気持ちを抱いている。

例えば、いつか自分があの人を超えたと思った時、私はその存在から解放されるのだろうか。
それとも、広告漫画家ではない何かになれたときか。

考えて答えが出るものではない。
心の底に抱えたジレンマから目を背け、私は今日も広告漫画家として生きている。