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パートナーと意見が対立することはありますか?

161207

「パートナーと意見が対立したとき、百万さんはどうしていますか」
不意にそんな質問を受けました。

「あー…う〜ん。そもそも対立しない、かも。」
「えっ?いつも二人が全く同じ考えってことは無いですよね。
どちらかが折れるってことですか?」
「いや、そうでもない、ような…」

結局まともな回答ができないうちに話し相手が変わり、その話はそこで終了したのですが。
何故問いに答えられなかったのか自分でも気になったので、その後一人で考えてみました。

意見が『対立する』状況とは?

もちろんその方が言ったように、全てにおいて同じ考えってことはありえないですね。

例えば今の私のパートナーは週刊少年ジャンプで今1番面白いのは『磯部磯兵衛物語』だと言ってはばからないのですが、それについては私はもう「そそそそそそんなバカな…!!」としか言いようがない。

しかしこの件で「ヒーローアカデミアに決まってんだろゴラア」と対立することに意味はない。
それは単純に『人それぞれ』で済む話だからです。

一緒にニュースを見て異なる意見を持ったとか、映画を観に行ったけど評価が割れたとか、それぞれの異なる意見を話し合うことはあっても、結果として統一させる必要はないわけです。

『対立』というのは、複数ある意見をひとつに決めなくてはいけない時に発生します。
パートナーという関係においては、それは二人に関わること、ということになります。
今日何を食べるかとか、どこへ行くとか、どこに住むとか。
「一緒にどう過ごすか」「一緒にどう生きるか」ってことでしょうか。
(そういう意味じゃなかったのかな…それ以外は『人それぞれ』でいけると思うんだけど)

二人に関することを対立させる意味はあるのか

じゃあ「一緒にどう過ごすか」って話で、例えば外でお昼を食べるとしましょう。
一人がパスタがいいと言い、もう一人がラーメンがいいと言い、意見が分かれました。

それで対立するなら、それぞれがそう思う根拠を述べ合い、相手を納得させる必要があります。
でも100%の納得なんてないから、それは結局どちらかが最終的には折れるってことになります。
不満か、そこまでいかなくてもちょっとモヤっとした気持ちが残るかもしれません。

でもそれってなんの意味があるんでしょうね。
一緒に過ごすことにおける意義って、『二人が幸せであること』でしょう?
どちらかに不満が残るんだったら、パートナーでいずに別々にやってればいいわけです。

大事なのは「何を食べるか」ではなく、「何を食べる選択肢が二人で楽しくいられるか」です。

意見が分かれたらどうするか

じゃあ、そういうとき、どうやって決めるのか。

その最良の方法は、『二人が幸せになれる第3の選択肢を探す』です。

つまり先ほどのランチの例で言えば、パスタでもラーメンでもないもので、二人が食べたいものにする。
「そう言えば昨日うどん食べたから麺類じゃないものにしよっか」とか、
「この間見かけた新しいお店行ってみようよ」とか。

実際のところ、最初からこの方法を取っていることが多い気がします。
それぞれの『個の意見』ではなく、最初から二人の為の選択を二人で考える。

だから「パートナーと意見が対立したときどうするか」という問いに、私は答えられなかったのだと思います。

それかもうひとつ、『相手の意見に乗る』。
なんだ、結局折れるって選択肢あるんじゃん、って感じですが、気持ちの面でちょっと違います。

嫌なことはもちろん嫌だと言いますが、「あなたが幸せなものならそれでもいいかも」とか、「あなたと一緒なら楽しそう」って思える相手こそが、最良のパートナーってものじゃないかなあと思うのです。
そして最良のパートナーということは相手も同じように思ってくれるので、どちらかの意見ばかりになることもないのかな、と。

以上が、私の『パートナーと意見が対立したときどうするか』の答えです。
答えになってないっちゃなってないですね。

恋人でも夫婦でも、二人で一緒に、二人の幸せを考えられるパートナーになれたらそれが1番いいのではないかと。

というわけでMさん、お役に立てずすいません(苦笑)
意見を対立させて、傷つけ合わずに済むパートナーに出会えますように。