目立つ、ウケる、伝わる ー 漫画の力をあなたに。

汝、火中の栗を拾いて渦中の人となるべし

160125

中心人物だったことがなかった。
全体を見渡し、把握し、その上で人にちょっかいを出したりすっとぼけたりしつつ、常にひと回り外から渦中を眺めていた。

例えば、学生の頃。

そこそこまじめで責任感があり、まとめ役が得意だったから、学級委員や部長、委員長に副委員長と『長』のつくポジションにつくことが多かった。
みんなを引っ張るカリスマ性は無かったが、だいたいのことはそつなくこなしたし、先生の覚えも良かった。

けれど、常に笑いが起こるメンバーやイベントの中心には私はいなかった。
(当然、問題となるようなできごとの中にもいなかった。)

誰もが知っているけど、さして誰の記憶にも強く残ること無く卒業した。

そのことについて悲観しているわけではない。
だってそれは、自分の意志だったから。
「それが楽だから」というより、「それが自分だ」と思っていた。

漫画家で生きるという夢があって、仲のいい友人が数人いれば、満ち足りていたのだ。
だからと言って自分さえ良ければいいと思っていたわけでもないし、空気も読むからそこそこに携わることはした。
そしてそれは、大人になっても変わらなかった。

…と、ここまでが1年前までの私。
いやー、なんていうの?もったいなかったわー(笑)

自分にはやるべきことがあるんだからそれと関係ないことにはかまってられない、みたいなストイックなスタンスだったわけだけど、そんなこと一回渦中に飛び込んでから言えっつー話ですよ。

この1年で、私は随分と動きました。
得になるかわからないことも、ピンときたものはとにかく積極的に関わってみた。
先日なんて、人生で初めて自分が中心の企画(私だけじゃないけど)も実現した。
そして心から、やってよかったと思いました。

自分のことを「私はサポート役の方が合ってる」って思う人は多いと思うけど、中心メンバーをやってみるとわかる。
サポートが中心メンバーより苦労することはない。
そして中心メンバーより達成感を味わうことも無い。

それから中心にいる人たちだって、決して「自分は中心にいる方が合っている」と思ってやってるわけじゃない。
常に不安を抱えながら、でもやるしかないんだからどうせなら楽しんでやろうって思ってるから、外から見ると輝いて見えるだけ。

渦中の人かどうかの線引きは、性格なんて関係ない、単にその線を乗り越えたかどうかだけなのだ。

とは言え、相変わらず私にとって1番大事なことが作品を描いて生きていくことだってことには変わりないし、人にはそれぞれ都合っていうものがあるから、おいしいかどうかの確証もない火中の栗を毎回拾いに行くわけにもいかない。

相変わらず、さして興味の無いフリをしつつ様子だけはしっかり見ているような一面もある。
またそんな私を別にしても、全員中心人物なんて現場も無いし、サポートなしでうまく回る現場も無い。

けれどもう、火中の栗の刺激的で甘美な味を知ってしまったから。
私はその時が来れば、迷わず渦中の人となるのだ。