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生き方宣言は重ねれば重ねるほどうさんくさい

170515

「人生は1度きり、いつ死ぬかわからない。
 だからやりたいことはどんどんやって、いつでも本気で生きていたい」
…的なストイック派。

「わたしにはわたしのペースがある。
 家族や仲間を大切にして、わたしらしく、ひとつずつ丁寧にやっていこう」
…的なスローペース派。

どっちでもいいけど、それに「気づいた」とか「これが私」とか「他の人にどう思われたっていい」とか、

いちいち宣言するな、めんどくさい。

いや、それが本当にある日突然天啓のように気づいたのなら、その興奮や思いの丈を叫べばいいですよ。

でもそれ何回言うんだよっていう。
なんで言い訳のように他人の前で言うんだっていう。
どんだけ自分に言い聞かせないといけないんだよっていう。

淡々とやればよろしいのよそんなもん。

だいたい、ストイック派とスローペース派は対立するもんでもないんですよ。
全部繋がってるの。
今自分がどの辺にいるかを認識するのはいいけど、「自分はこっち派だから」なんて宣言する意味がない。

例えばですよ?
ここにヨガをやっている人が4人います。

ストイックさんA 「私はヨガのインストラクターを目指しているの!」
ストイックさんB 「人に教える気は無いけど、ヨガを極めたい。」
スローペースさんC 「習い事として楽しめれば充分!仲間もできたし。」
スローペースさんD 「ダイエット目的だけど、ジムとかランニングはつまんないからどうせならヨガで楽しく」

どれも間違ってないし、いい悪いもない。
Aさんが「楽しければいいなんてバカみたい」と言ったり、Dさんが「こんなの極めにインド行くとか意味がわかんない」と言って、自分の立場の正当性をいちいち主張するのはめんどくさいでしょ?

目的によって通うヨガ教室は違ってくるかもしれないから、自分が今どんな立ち位置かを知ることはいいんですよ。
でもそれが、それこそが自分だと決める必要はない。

おケイコのつもりがのめり込んで本気になったから教室を変えようとか、先生をやってたけど体力的にきつくなってきたから辞めて自分のためのヨガにシフトしようってのは普通にありうることです。

そしてそれは繋がっているだけでなく、同時に存在することだってできるんです。
仕事はバリキャリだけど家事は手抜きとか、夫のお小遣いは厳重管理だけど自分の美容費はザルだとか、シーンによって違うだけで共存しているわけですよ。
人ってのは1枚岩じゃないんです。

つまりストイックもスローペースも、ただの『状態』に過ぎない。
私はこうだからと『性質』として思い込む必要なんてないのです。

そんな風によく宣言しているタイプの人を見ると、自分がやるべきことに集中できていないんだろうなと思ってしまいます。
どっち側の状況であろうが、やってる人はいちいち言わずに淡々とやっていますから。

何度も何度も自分がアクセルを踏み込んでいるのか緩めているのか確認したってしょうがない。
ただそれを踏んで、進めばいいのです。